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かつお節について

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印南町は「かつお節」の発祥地です!

印南漁港

「かつお」が最初に文献に登場するのが、大宝律令(701年)ですので、相当な昔から食されていたものと思われます。

印南町でも古くから黒潮に乗って太平洋を北上するかつおの群をねらって、かつお漁が行われていました。昔は今と違い手こぎの船のみであり、輸送に長時間を要したため独自の保存法が用いられました。そうして生み出されたのが、日本料理に欠かせない「かつお節」です。しかし、当初のかつお節(干し鰹)は現在のものとは異なり、硬くて味も香りも今ほど良い物ではなく日持ちもしなかったそうです。

いまに通じるかつお節が出回り出したのは江戸時代中期。その製法を考案したのが印南の漁民である「角屋甚太郎」と伝わっています。

甚太郎は、1600年代半ば、船団を仕立て、土佐に出漁した印南漁民のリーダーとされ、足摺岬に絶好の漁場を発見し、1年のうちの10ヶ月間を足摺岬で過ごすようになりました。そこで甚太郎が試みたのが「燻乾法(くんかんほう)」だったといいます。煮て乾かすだけだった加工法に、まきを燃やして煙でいぶす工程を加えたのです。その後、2代目甚太郎が父の志を継ぎ、仲間とともに試行錯誤して、かつお節の画期的な製造法を考案しました。火力でかつおを乾燥し、青かびを付けて日光乾燥を繰り返す「燻乾かび付け法」です。これにより、松の香りにも似たかつお節特有の風味を生み出すことに成功しました。これらのかつお節は「改良土佐節」と呼ばれました。甚太郎は「土佐節の祖」とたたえられ、印南漁民によるかつお漁とかつお節製造は、繁栄を極めたといいます。

しかし、約100年後におきた天明の大飢饉によって、印南漁民は引き揚げを余儀なくされ、かつおの通い漁も終わってしまいました。

現在、印南町でかつお節の製造は行われていませんが、日本の味のベースとなっているかつお節の製造法は、平成の世となった今も、昔と大きく変わることなく現在に伝えられています。印南の漁民が考え出したかつお節の味が、何世紀にもわたって広く愛されてきたことを思うと感慨深く、新しい可能性を見出し、果敢に挑戦していく先人たちの気概を誇りに思わずにはいられません。

海沿いを走る国道42号線の景色

海沿いを走る国道42号線の景色

印南漁民顕彰の碑(平成27年7月建立)

印南漁民顕彰の碑(平成27年7月建立)

 江戸時代、この印南浦から鰹節製法功績者始祖の角屋 甚太郎、製法を伝授した

森 弥兵衛、印南 與市(通称 土佐 與市)と三人の偉大な漁民を生み出しています。