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あしあと

    1,切目王子跡(切目神社)

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    令和4年11月10日に国史跡熊野参詣道の紀伊路に切目王子跡が追加指定されました。
    これにより印南町初の国指定文化財が誕生しました。

    切目王子跡

    (きりめおうじあと)

    • 員数 1社
    • 指定年月日 令和4年11月10日
    • 所在地 印南町西ノ地
    写真 切目王子跡

     切目王子は熊野九十九王子のうち、藤白・稲葉根・滝尻・発心門王子と共に、五体王子として最も格式のある王子社である。熊野詣が盛んであった平安から鎌倉期にかけて、皇族の遥拝所として用いられるようになるとともに、天皇・上皇・法皇をはじめ多くの人々が参拝し、宿泊所として用いられた。
     創建は崇信天皇67年にまでさかのぼると言われている。切目王子にまつわる記述としては、宇多上皇が延喜7年(907)の熊野詣の際に切尾(切目)の湊から船で熊野三山に向かわれたと記されているほか、弘安四年(1281)の亀山上皇の時代まで90数回の歴代天皇・上皇による熊野詣の際に切目王子に御立寄りになったことが記されている。
     なお後鳥羽上皇が当社の御所御殿にお泊りになり、供奉の人々と共に御歌会を催された時に「遠山落葉」「海辺晩望」の首題を基に詠まれた御製をはじめとする歌が国宝「熊野懐紙(切目懐紙)」(西本願寺所蔵)とされている。その後も、平治の乱において平清盛が軍議を開いたのちに戦勝祈願を行ったことなど、歴史的な事柄にかかわる記述が多く残されている。
     安土桃山時代に豊臣秀吉による紀州征伐のあおりを受け、最盛期の非常に広大な境内の大半が戦災により焼失した。江戸時代になり紀州徳川家初代藩主の徳川頼宜をはじめ歴代の紀州徳川家藩主より手厚い保護を受け、貞享3年(1686)に再建された。なお現在の本殿は本殿内の棟木の記述によると文政11年(1828)に再建されたものである。
     昭和11年(1936)に和歌山県史跡として指定され、昭和33年(1958)には和歌山県指定文化財となったのち、令和4年(2022)に国指定史跡となっている。

    令和への改元を記念した石見神楽の奉納の様子。
    出雲地方の石見神楽には切目王子に所縁を持つ「切目」という演目の神楽があり、歴史的なつながりが見られる。

    印南漁港でのパフォーマンスの様子

    切目王子の国指定記念イベントとして令和5年11月に印南漁港での神楽のパフォーマンスと花火が行われ、切目王子で石見神楽の奉納が行われた。